「説明を受けると、写真だけよりよく分かるわ」と写真展で言われたことをきっかけにいろいろ書くことにしました。
2022年フクシマその1
【伝承館語り部から、愛犬リキとの再会】
―2022年フクシマその1―
「原子力災害で、人生を変えられたのは人間だけでなく、ペットや家畜も死に追いやられたことを知って欲しい」と語り部さんは、置き去りにした愛犬リキの話をしてくれた。
2月28日午後1時半、「東日本大震災・件視力災害伝承館」(20年9月オープン・建設費52億円)で行われた館内語り部講和に、9人が集まった。昨年4月には「講演の注意」として「講演の撮影及び録音、SNSへの投稿はお断りしております」となっていたが、今のバンフレットには一転「聴講時の注意」「講和中の撮影及び録音は、スタッフにお尋ねください」に変更になっていた。写真は語り部に許可を得て撮影、SNSに発表した。
あの日、勤めていた浪江町の小学校は高台にあったので、700人の住民が避難。妻も教員をしていたので、二人が帰宅したのは翌朝7時。防災無線で避難命令を聞いて、2-3日で帰られると思っていたが、5も6年も戻れなかったのです。
私たちは避難に犬を連れていく訳にいかず、鎖につないだまま、バケツ一杯に水を入れ、餌を山ものにして家を去りました。
その2週間3月28日、被災犬保護ボランティア団体のドックトレーナー岸さんがマスクとカッパを来て、救済活動をしていました。ちょうど鎖が切れていたリキが語り部の先生の家に入るのを偶然に見かけたので、餌を与えてリードをかけてリキを救ってくれました。インターネットでリキのことを知り、迎えにいったのです。その後リキが天寿をまっとうした時には、岸さんにメールで連絡した。
浪江町の登録犬は2500頭。そのほぼすべてが死亡。
大震災1、2ヶ月後、避難先から自宅の一時立ち寄りが許された。1軒につき二人まで、町発行の通行所と身分証明書を見せて、バスで検問所を通って戻ることができました。電気も水道もないので、長期滞在はできませんでした。
その時、バスの中で、牛や豚が道路を歩いているのを数多くみかけました。原発より20キロ圏内にはおよそ牛3500頭、豚3万頭、鶏68万頭、馬100頭。そのほとんどが餓死。
私は2021年3月に定年退職して故郷に戻ってきましたが、避難指示解除された11市町村での居住率は約32%。ここ双葉町にいたっては「誰一人も住んでいません」ゼロパーセントです。
最後に、「原子力災害は、科学技術の力を過信し、自然災害の脅威を侮ったのです。結果、地域住民を故郷から引き離し、人々の暮らしや人生を大きく変えてしまったのです」と訴えた。
*写真は私の資料ではないので、二次利用は避けてください。
2022年フクシマその2
「この当たり海岸周辺はもう人が住みなくしているようですが、誰が決めたのでしょうか?」と私。
「自治体と住民で決めました。当時は原発がどうなるか分からなかったからです」
「復興といいますが、ありえないのではないでしょうか? 」
「そうね、復興はあっても、復旧はないでしょうね。女川町とは違います」。
昨年2021年10月にオープンした「震災遺構 浪江町立請戸小学校」の説明員に話を聞いた。この話は一面でしかないかもしれないが、原発が意思決定に絡んでいるのは間違いないようだ。
一方、宮城県女川(おながわ)町では、震災の年9月には「女川町復興計画」が町議会で可決され、「これからも海とともに生きることを選んだ」。「陸と海を遮るものを作らず、町全体をかさ上げる」と決めた。震災から8日目、水道も電気も通らない中で民間の有志がプレハブに集まり、まちづくりの準備会を開いた。その約1カ月後には、商工会、水産業関係者らを中心に、女川町復興連絡協議会を立ち上げた。その秘密は「還暦以上は口を出さず」にあったという。
2022年2月28日高橋撮影。写真は自由にご利用ください。
トップ:アニメ映画「浪江町消防団物語『無念』の2022年の現場と請戸小学校。
下:漁港前の巨大堤防から見た風景。漁港はりっぱに再建され、多くの漁船が集まっている。しかし、橋を渡るまで住居は1軒もない。奥の工場は浪江町棚塩の減容化施設(仮説大型焼却炉、建設費494.4億円、処理能力300t/日)。
下:浪江町請戸の2011.3. 11被災前のパノラマ。請戸小学校2階に展示している。
【参考資料】
・原子力市市民会2020年7月発行「減容化施設と木質バイオマス発電―肥大化する所詮ビジネス、拡散するリスク」
【令和4年2月更新!】震災遺構 浪江町立請戸小学校 | 浪江町ホームページ
・東日本大震災5年 ふくしま消防団の無念アニメに (朝日新聞2016年03月08日)
http://www.asahi.com/area/fukushima/articles/MTW20160308071450001.html
フクシマ2022年その3
【原発立地の町・双葉町、居住者ゼロ街の現場】
―フクシマ2022年その3―
福島第一原発の立地の町である双葉町では、5,625人の住民は誰一人も帰宅していない。
一方では、22年1月、準備宿泊が始まったが、同町に住民票を置く3000人超のうち、2月20日まで宿泊したのは延べ20人。(神奈川新聞22年3月6日「つなぐ3.11から」)2022年2月28日撮影のトップ写真は双葉駅の北側地区。住民移転推進のための土地を整備しているようだ。
実際には、20年3月14日のJR常磐線の開通に伴い、双葉駅周辺は双葉駅中心とする特定復興再生拠点地区(復興拠点)が避難指示解除されている。解除された町北東部は町面積の15%ほどだ。現在、町議会は双葉町役場いわき事務所で行われているが、駅前に現在「双葉町仮設庁舎」の工事が行われている。
双葉駅からは1時間に1本のシャトルバスが東日本大震災・原子力災害伝承館に向けて運行している。
これが11年たった双葉町の現状だ。
写真撮影 高橋。ご自由にお使いください。
トップ写真:2022.2.28撮影
下写真:駅前のアート作品 (2021.4.3撮影)
下写真:新設された双葉駅とシャトルバス(2021.4.3撮影)
フクシマ2022 その4
原子力災害伝承館の書き換えられた看板
「外の看板の説明に『展示品はレプリカです』が追加されましたね」と私。
「いろいろありましてね・・・・」と伝承館の係スタッフ。
「今、撤去された現物はどこにあるのですか? 」
「倉庫にあります。外に展示しますと、潮風にあたるので」
「館内に展示すれば良いのではないですか? 」
「・・・・・・」
この看板は原子力の広報として、国道6号と双葉町町役場に道路上にかけられていた。アニメ映画「請戸地区消防団物語『無念』」の中で、「原子力明るい未来のエネルギー」の標語のシーンがある。当時、当時双葉北小学校6年生が学校の宿題で標語を考案。「無念」のアニメ映画では、「残してほしい」との役場に訴えるシーンが、描かれている。
「当時は原発の「安全神話」を疑っていませんでしたから。標語が選ばれ、当時の町長から表彰されて、誇らしかったのを覚えています。看板になったのは1991年です。その20年後に原発事故が起き、自分が誇らしく感じていた看板は、みっともなく、忌まわしいものになってしまいました。」と考案者の発言が報道された。
しかし、この有名な標語の看板は書き換えられていた。
「原子力郷土の発展郷土の未来」は1988年度の最初の標語だった。
確かにウソではない。しかし、これはまるで「福島県の空間線量率は、海外主要都市と同じ水準」の展示で線量の高い町は無視されたように、一部の市民の声は無視されているのではないだろうか?
2022.2.28撮影、写真は自由にお使いください。
参考
フクシマ2022 その5
浪江町請戸大平山霊園
せめてお墓だけでも
【浪江町請戸大平山霊園:せめてお墓だけでも】
―フクシマ2022 その5―
震災遺構・請戸小学校の2階の展示室廊下に、「せめてお墓だけでも」というバネルを見つけた。
「津波は現代を生きる人ための暮らしだけでなく、先祖が眠る墓地も破壊しました。『自分は戻れないかもしれないが、せめて墓だけでも町内に』そういった声を受け、津波を免れた請戸地区の高台(大平山)に町営墓地の整備が始まり、2015年に『町営大平山霊山』として整備されました。
著者は何度もこの墓地を訪ねて、いつも無人の荒野を撮影してきた。しかし、この「せめてお墓だけでも」という考えは思いつかなかった。
掲示版には地元の人の思いが書かれている。
「既に町外へ住宅を求めたが、墓は請戸に置きたい。また、土地も近くに残しておきたい。私たちの生い立ちの証として、と考えている」。
津波で破壊された跡地に、住居を建てない決断をしたのはここだけではない。しかし、この地でそう決断をした背景には、原発事故が影響はあった(「フクシマ2022 その2」参照)。原子力災害は、震災、津波に比べ、その影響は長引く。地域の分断やアイデンティ(《他ならぬそれそのもの》であって他のものではない)も喪失される。
「農民にとって、ご先祖様の土地を壊すわけにはいかないという気持ちが強い」そうだ。
溝の口駅前の写真展で、浪江町請戸地区のバノラマの写真を見て「田んぼや畑もいっぱいあったなあ」語ってくれた。だが、今は皆無だ。あの津波と原発災害を実際に経験したことがない私は、本当は理解できないと思いが募った。
「町外に住むことに決めましたが、墓地は請戸に建て時々は故郷に帰り、思い出に浸りたいと思っています。あの忌まわしい津波は頭の隅に置き、あの美しい浜辺や穏やかだった波を思い浮かべていきたいと思います」。
石碑の海側には、182人の犠牲者全員のお名前、山側の碑文には「東京電力福島第一原子力発電の事故により、国から避難指示が発令されたため、住民は避難を余儀なくされ、捜索や救助を断念せざるを得なかった」と刻まれている。
未だ27人が行方不明のままだ。2022年3月11日、請戸地区の海岸では、警察や消防の捜索隊約50人が一例に並び、熊手を手に砂の中を確かめた。そうだ。
2022年2月22日高橋撮影。
左下は被災前の請戸地区のバノラマ(請戸小学校に展示しているもの)
看板の原本はコメント欄にあります。
フクシマ2022 その6
フクシマ2022 その6
双葉町中野地区集落跡地:残すか残さないか
「あの集落の解体していないところは、残そうという強い意志があるようですね」と地元の人から話を伺った。
ちょうど原子力災害伝承館からも見える位置にあるこの工場跡のような場所には、今も花束が欠かさずおかれている。トップ写真を発表することは、撮影者が住居侵入を犯している証である。この写真を公開することに少しためらいがあった。祭壇はここで亡くなった子どもの供養のためであろう。私は毎回手を合わせて拝んでいる。2021年4月に初めてここを訪れた時も、2022年2月に再訪したときも、花束は飾られていた。
この周辺にはもう1軒の解体されない住居が当時のままに残っている。そこにも供養碑がある。
一方、この地区にあった八幡神社。2021年4月には鉄筋の鳥居がかろうじて残され、木々が伐採されていた。2022年4月には真新しい鳥居と新しい神社が建設されていた。この地区ばかりか、双葉町全体ひとりも住みでいない。人が住めないからこそ、この神社に集う場を確保したいというのも、人情だろう。
大震災と原発事故の体験を根ざしていない私たちにとって、両者の選択を良い、悪いと外野からいうわけにはいかない。
この付近の計画図によれば、この周辺は「思い出の道」として残される予定だ。
2022.2.28高橋撮影
フクシマ2022 その7
フクシマ2022 その7
【浪江町に田んぼ復活 いいね! でも】
5月22日、新しくできた浪江町の舗装道路を走らせていたら、進行方向右一面に田んぼが広がっていた。「いいね」と思ったが・・・・
浪江町全域に出されていた避難指示は、2017年年3月31日、「帰還困難区域」を除く区域で解除された。帰還困難区域では、避難指示が継続しているため、引き続き居住できません。東日本大震災当時の人口は、約21,500人。町内には約1,600人が居住している。福島第一原子力発電所から浪江町までの距離は、最も近いところで約4km、浪江町役場までは約8km、津島支所までは約30kmだ。(出典:浪江町ホームページhttps://www.town.namie.fukushima.jp/site/understand-namie/namie-factsheet.html)
車を降りて良くみると、電線がある。あぜ道をおじゃますると、「あぶない 電気さく使用中」とあった。この隣の田んぼの横にはフレコンパックの山があった。
「東日本大震災・原子力災害伝承館」の説明スタッフは「イノシシ対策ですよ。うちの家にもつけているのですよ」と携帯でソーラー式 電気柵の写真を見せながら説明してくれた。
帰りは町の裏通りを走っていると、田植えを終えて電気柵を設置している農家さんに出会う。
「川崎から来ました。写真を撮らせていただいてよろしいでしょうか? 」よいですか? 」
「これで(田植えを復活して)4回目。私たちにはどうすることもできないのですよ」
去る6月5日、川崎市平和館にて開催の「平和をきずく、市民のつどい」のバネル展では、畑や田んぼに電気柵を付けているのは、福島県双葉町だけではない、と教えてくれました。
「そうですか。この写真は特別なことではないのですね」
「この写真は原発事故の影響であるという点、意義はあるでしょうね」
久々に「フクシマ2022」を掲載しました。
「face bookに持論を展開するのも、とても違和感があります」とのフクシマ視察仲間から批判もいただいています。批判をいただくようになったら一人前の証でしょうか? K・ラワースは「ドーナツ経済」の本の中で、「始めるのは簡単だ。ただ鉛筆を手に取って、描けばいい」と書いています。
私もそうして、少しでもフクシマを知ってもらおうと、書いていきたいと思っています。
取材・撮影: 2022.5.25
フクシマ2022 その8 双葉町中野地区続編
フクシマ2022 その8 双葉町中野地区続編
【原発賛成、反対の二者択一はできない、震災の語り部の証言】
「原発に賛成、反対の二者択一はできません。原発からお金をもらっていませんが、原発で生活していた人も地区にはいました」と2022.9.22に「東日本大震災・原子力災害伝承館での「館内語り部講和」で高倉伊助さんは語った。
私はここから北数100m先の集落に生まれました。植木屋と農家もやっていました。現在は福島県須賀川市に住んでいます。この地区は原発でかなり潤っていた地区です。50戸の集落でした。
地域の元消防団分団長でしたので、被災当日、家々を回って避難を呼びかけたけれど、全部は周り切れなかったです。軽トラックでお年寄りを数キロ先の津田地区の避難所に運んだけれど、この地区では17人が津波で亡くなりました。
ここから見える、いつも祭壇に花が飾っている、津波の被害の家ですって? あそこには3ヶ月の子どもと73才のおじいさんが取り残されていました。農家の器具を置いている作業場でした。
我々の地区は誰も住んでいませんが、何もなれれば、誰も来ません。地区の人と連絡を取りたくても、役所は連絡先を教えてくれません。そこで、八幡神社を再建することにしましたが、「余計なものを」とか「、維持管理はどうするのか」と言われましたが、大震災より10年を機に、福島県神社本庁の支援を得て、再建がなりました。
柱は20年に一度の式年遷宮を迎えた伊勢神宮の廃材をいただいたものです。
話から中野地区のことかってですって? そのとおりです。内容を発表してもいいかですって? もちろんいいです。名前も使ってください。全国の皆さんに分かってもらいたいと思って、こうして語り部をやっているのですから。
2022.9.8、9.9撮影
参考
東日本大震災の津波被害から再建 福島県双葉町の八幡神社で竣工祭 鎮魂と復興願い神楽を奉納 | 浜さ恋 (hamasakoi.jp)
震災から6年、原発の近くほど復興の時計に遅れ
- 社会 : 日刊スポーツ
(nikkansports.com)
フクシマ2022 その9
【フクシマ2022 その9
再び双葉駅周辺、8月30日避難解除と報道されたが、しかし・・・】
福島第一原発の立地の町である双葉町では、福島県で唯一全町避難が続いていたが、8月30日、11年5ヶ月ぶりに避難解除されました。今年5月25日に訪れた時には駅前の町役場は建設中でした。
テレビ報道では、町役場の完成など報道されていましたが、9月9日に訪れると西側の復興住宅は完成せず、写真のとおりのありさまでした。
前に来たときには、階段まで通れるようになっていたかですって?
危ないから(双葉駅の自由通路は)通行止めにしたようですよ。
駅前のコミュニティバスに人は乗っているかって?
ここから見えるでしょ。あそこが原子力災害伝承館、隣が双葉町産業交流センター。ここから職員がバスで朝夕通っているのですよ。
窓から見える高台にある学校もいつ再開するか分からないね。
と駅の清掃員が教えてくれた。
下地図の赤いところは帰宅困難地区のまま。
●https://www.youtube.com/watch?v=qXAKeWkk2lM
には双葉町役場新庁舎 紹介映像にはいいところしかない。
●「双葉駅西側地災害公営住宅プロジェクト」
現在の現地の様子7月号
https://restart-futaba.com/wp-content/uploads/2022/08/news_7%E6%9C%88%E5%88%86.pdf
2022.9.9撮影
フクシマ2022 その10
【フクシマ2022その10 原発の見える請戸漁港から】
浪江町請戸漁港の事務所からでて来た方に話を伺ってきました。
川崎から来たのですか?
浪江町役場のホームページに「現在、休業中です」と載っていた?
今日は波が高いから、漁にでていないが、きちんと(放射線)線量を検査して出荷していますよ。もっとも火曜日は築地市場が(水曜日に)休みだから、漁にでないことにしています。
最近設置された「釣り人立ち入り禁止」の看板ですか? 実は釣り人との警察沙汰があった後からです。漁師が船を停泊する場所に釣り人がいて、どいてくれるように頼んだのですが、そこで喧嘩が始まり、警察がくるほどになったからです。でも、他の漁港でも同じ看板が建てられているようですよ。
汚染水の放出ですか? 私たちはもちろん反対していますよ。東京電力は1回しか説明に来ていませんよ。昔の貯蔵タンクも古くなって、立替なければならなくなっています。結局は放出したほうが安上がりになるからではないでしょうかね。
参考
浪江町ホームページ 請戸漁港(うけどぎょこう)
https://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/7/311.html
9年ぶりに、請戸漁港で「競り」が再開 | 浪江町ホームページ (town.namie.fukushima.jp)
フクシマ2022 その11
出口が見えない、中間貯蔵施設の除去土壌
トップ写真は中間貯蔵施設内の土壌施設の「大熊②工区」の現場写真だ。こうした施設が福島第一原発を囲む約16k㎡(東京ドームの約360倍の広さ)に8ヶ所点在し、福島県各所から運ばれる除去土壌は「東京ドーム約11杯分、約1400万㎥になるという。
この工区は2021年4月2日視察したときには、田んぼたった谷間に施設の48%、660,770㎥の処理された土壌だったが、2022年9月5日には91%、996,600㎥の土壌が埋まっている。その高さは3層で15m。その上に50㎝の土を盛り、草を植えて完成となる。施設内では完成のものも見られた。
これまで、福島県内の輸送対象市町村(52市町村のうち)、46市町村からの輸送は終了。現在も一日7000台の大型トラックが稼働している。その内4500台が敷地内の移動に使われている。敷地内に運ばれてきた未処理のフレコンパックは、その一部に草がはみ出ている光景も見られた。2021年4月の時点では、2021年度中には福島県内のすべてのフレコンパックを回収予定と話をしていたが、今年2022年には「まだ目途がたっていない」との回答だった。
2015年からここに保管を開始して、その30年後には法律上県外に運ぶ手はずになっているが、実験中の処理土壌の再利用も含め、どうするか議論しているところだ。
2022.9.9 取材・撮影
フクシマ2022 その12
フクシマ2022 その12
【中間貯蔵施設で消えるふるさと】
避難指示解除された地区では、11年半たった現在、ほとんど津波の痕跡は見られなくなった。しかし、この成田空港の1.3倍の広大な中間貯蔵施設の敷地には、今も津波の痕跡が数多く残っている。
トップ写真は水産種苗研究所、原発のタービン建屋の熱交換器で温まった海水の利用施設だった。放射染料が高いため、バス内からだけの視察だった。下は熊川区公民館。高台にあった「サンライトおおくま」の介護施設は見かけ上ほぼ無傷のまま残っている。内部はみてないが、今も事務所も当時のまま残されたままになっているのが車窓からも見えた。学校もそのままだ。数こそ少なくなっているようだが、個人の住宅も残されている。(個人住宅は撮影しないよう要請があるので、写真には示せない)。「大熊や双葉は放射能がかかった瓦礫のゴミ溜め」状態だが、マスコミのほんどがいいところしか、報道していないようだ。
現状はともかく、「法律上(30年後)県外に(処理土壌を)搬出、というのが納得できないんですよね」という読者から声があった。また、「放射能の半減期からすれば100年はこのままにしておくしかない。この土地を東電が買い上げればよい。または、国有地にする」という声も。しかし、この30年後県外は、ふるさとを奪われた人々の先祖代々の土地を「ぜったい売らない」いう決意と、自分の住んでいた町を失くしたくないという気持ちの反映でもある。
「我々の先祖が原発を誘致し、その恩恵を受けた一人だが、我々にも責任がある。しかし、ここを最終処分場にするのはありえない」と中間貯蔵施設の敷地買収に尽力した人さえいう。これは、2019年9月14日NHK・Eテレビ放映の「『中間貯蔵施設』に消えるふるさと~福島 原発の町で何が~」の中で話された証言だ。
最初、この広大な敷地は、すべて国が買い上げる方針だった。しかし、住民が強く反発。そこで、国は土地を30年間借り受ける「地上権」を認めることにした。交渉開始から5年後には、地権者2360人の内、66%の1569人が国に売却、6%の143人が地上権保持、不在など未契約者が6%の648人だった。
(以上は直接取材した情報でなく、前述のNHK番組情報から)
総工費1兆6000億円(2019年NHKの放送時の数字)の工事の未来は決まっていない。飯館村長沼地区において除去土壌の再生利用実証が現在行われている。「この実証事業では、除去土壌を再生資材化し盛土した上に放射線を遮るための土をかぶせ、営農しやすい農地を造成しています。また、地元住民の皆様と共に栽培作業を行っています」。(中間貯蔵工事情報センターの配布資料から引用)これが政府の方針になるのだろうか?
「あと私が一番腹たっているのは、我々はあの電気を一度も使っていないんですよ。みんな関東地方で使っているんですよ」。「大熊町聞き書き活動10」から
撮影:2022.9.9
参考資料
〇水産種苗研究所
https://revive-fukushima.com/fish-hatchery/
〇大熊町聞き書き活動10 下の方に避難後、「中間貯蔵施設の受入について」の証言より
「あと私が一番腹たっているのは、我々はあの電気を一度も使っていないんですよ。みんな関東地方で使っているんですよ」。
「銭金の問題ではない。大熊や双葉は放射能がかかった瓦礫のゴミ溜めです。毎日毎日ダンプあっちこっちから運んできている。私のうちのまわりは瓦礫だらけ。自分のふるさとが。その姿を見たら、皆さんどう思いますか? だからこれを教訓にして、本当に若い人たちに強く言いたいですね。自然災害を甘く見ては行けない、原発事故は間違っても起こしてはいけない。」
https://www.salkeio.com/post/kikigaki_10
フクシマ2022 その13 最終回
【フクシマ2022 その13 最終回
―推進派、反対派を超えて、レッテル張りをやめよう―】
「東電の廃炉資料館は推進派だから、汚染水の(海洋放出)の反対派の話を聞こう」
「フクシマは、推進派、反対派で片付けられる問題ではない」と私は強く反発した。
ある打ち合わせの時のことで、これは3年に及んで書き続けたフクシマシリーズの最終回にふさわしいテーマだと考えた。
フクシマの写真展をJR溝の口駅改札口前の自由通路で行っていた時、「なぜフクシマのポランテイィアが皆引き上げてか、分かっているか? (被災者が)保証金をもらって、パチンコに使っているからさ」と年寄りのおじさんに言われた。市民記者としてはこれを確認すべき、南相馬市でボランティアを受け入れていた旅館の女将さんにこのことを「馬鹿なことを聞きますが・・」と直接尋ねた。女将がとてもひどく悲しそうにそうではないと静かに短く語っていた。怒り出すこともなく。私は冒頭の意見を聞いて、レッテルする話に年寄りのおじさんの話を思い出した。現場を見ないで(正確には、冒頭の人は被災地には行っている)語っているからだ。
という偉そうにいう私も、実はレッテル張りをした苦い経験がある。「戦前、朝鮮人は強制的に日本に送られたかって、そんなステレオタイプな考えはやめていただきたい。夢と希望をもって来た人もいるんだ」と市民記者の取材のとき、朝鮮半島をルーツにもつ方から言われた。そして、偏見のレッテルを剝がそうと「知っていますか? 在日韓国・朝鮮人問題」「在日朝鮮人 歴史と現在」などの本を読んだ知見で、「差別のない社会に向けて」と題して「在日高齢者と結ぶネットワーク」の原稿を「神奈川新聞」の読者に向けて発信した。
さて、東京電力廃炉資料館は推進派かどうかについて、何度も通って私は違うといいたい。ALPS処理水の模型とビデオでの解説は、もちろん放出について理解していただきたい旨のことは一言あるが、仕組みを分かりやすい説明した良いものと思った。(なお、私は海水放出断固反対である)。少なくとも館内の紹介ビデオにも反省とおわびの一文がある。パンフレットにも「原子力事故の記憶と記録を残し、二度とこのような事故を起こさないための反省と教訓を伝承することは、当社が果たすべき責任の一つです」とある。
しかし、その反省が果たして十分かどうか、比較論で検討してみたい。今年2022年9月、同館の60分案内コースを参加、たった一人だった。「冒頭のビデオは前にきたとき、おわびのところはテロップだけだったようですが? 」「私はここに来て、まだ日が浅く分かません」
一方、大事故といえば、1983年8月12日の日本航空123便の墜落事故がある。その事故を伝える「日本航空安全啓発センター」がある。そこを案内するガイドはその8月12日の123便の受付業務をしていたグランドスタッフだった。「その時、キャンセル待ちのお客様が大勢しらっしゃって、乗れたか乗れなかったが生死の境になりました」。もちろんこの違いだけでは判断にならない。墜落現場の御巣鷹山に行ったとき、JALグループの新入社員(?)が慰霊登山をしていた。そして、「私たちグループはこのような事故を2度と起こさないように、社員(新入社員だったか?)がこのセンターに訪れるようにしています」と元グランドスタフは語っていた。
「原発に賛成、反対の二者択一はできません。原発からお金をもらっていませんが、原発で生活していた人も地区にはいました」
原子力災害伝承館語り部 高倉伊助さん
フクシマ2022 その8 双葉町中野地区続編
「原発賛成、反対の二者択一はできない、震災の語り部の証言」より
このフクシマシリーズに3年間付き合っていただいた方々に深く感謝したします。
追伸:「汚染水か、処理水か」という原稿も書こうとしましたが、やめました。専門的知見が不足しているからです。
地元の「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」の本チラシ制作を頼まれ、内容について議論を重ねてきました。汚染水という言葉を使いたくない、されど「ALPSE処理水と言っても分かるでしょうか」と尋ねたら、「福島原発の処理水を、海に流すなんて」と素晴らしアイデアがでて、採用させていただきました。
2022年12月25日記す。
〇文中の文献
・梁泰昊(ヤンテホ)・川瀬俊次著「知っていますか? 在日韓国・朝鮮人問題一門一答
第2版」 解放出版
・趙景達(チュキュンダル)著「近代朝鮮と日本」岩波新書
〇参考
東京電力廃炉資料館
https://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/decommissioning_ac/
同館のパンフレット
https://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/decommissioning_ac/pdf/leaflet-j.pdf
番外編その1
【後輩に引き継ぐ、日本航空安全啓発センター】
「事故のことを忘れない。二度と起こさないためにどんな小さな不安も逃さず確認する」
これは研修を受けた日本航空社員のメッセージのひとつだ。日本航空安全啓発センターの掲示板に掲げられている。
ここは東京モノレール「新設備上駅」に隣接するJALメンテナンスセンター1のビルの一角にある施設。1985年8月12日に発生したJA8119便の飛行機事故を、「二度とこうした事故を起こしてはならいないと硬く心に誓って」「事故の教訓を風化させてはならないと思い」2006年4月24日に設置した施設だ。
日本航空グループの社員は皆ここで研修を受け、墜落現場の御巣鷹の尾根=上写真=に登ると話に聞いていた。研修場ながら、社会貢献の場として一般の方にも少人数見学を受け入れている。2ケ月前の予約開始8-9分で満杯になるそうだ。今回、なりわいブロジェクトの方からいけなくなったので、そのたった一人枠をいただいた。2019年5月14日1階は整備工場の見学者やバスで混雑ながら、ひっそりした受付が見えた。(内部は著作権上、写真撮影禁止)
「これらは日本航空のこれまで起こしてきた事故です。・・・1982年2月9日羽田沖日航機逆噴射事件の当時、私は受付カウンターにしました。・・・・お客様からは『JALは何をやっているんだ』とお叱りを何度も受けました。事故後、全日空が混雑している中、日本航空には空席が目立つ状態が長く続いたのです。そして3年、ようやくお客様が戻ってきたころ、あの事件が起こったのです」と当時のボイスレコーダにもとづいく記録ビデオが流される。
ここには日本航空に返却後保続されていた後部圧力隔壁、後部胴体、乗客用座席が展示されている。また、当時の資料室にもなっている。当時の乗客のメモも掲示「18:46スチュワーデスは冷静だ」
「今、当時のことを知っている社員は5%もいません。あの日も私は羽田のカウンターにいました。自動車事故で到着できなかったお客様が多数いて、アナウンスしました。最終便を予約していたお客様が『ラッキー』と言って、この大阪便に乗られたのです。
2度と事故を起こさせないためこの事故のことを後輩に引き継ぎ、次の世代にも伝えていきたいのです」。
先に東京電力廃炉資料館について報告したが、東京電力とはまるで違っているように思えた。
番外編 その2
【「廃炉資料館」、まるで原発アピール館のよう】
2019年4月19日、昨年11月30日にオープンした東京電力廃炉資料館と福島第一原発の内部を視察した。資料館には「違和感を覚える」という発言が視察ツアー最後のバスで語られた。なぜだろうかと考えてみた。
この建物はもともと福島第一原発のビアール館であった。福島県双葉郡富岡町大字小浜字中央の帰宅困難地解除となった双葉警察署の斜め向かいに位置して、誰でも入館できる。双葉町には人口16000人いたが、帰還者は922人。案内人は廃炉コミュニケーターと称されている。毎日のように人を案内しているようだ。中国人のグループもみかけた。
まず、廃炉作業はとても進んでいるような紹介映画を見せてくれる。もっとも始まりは文字だけの事故謝罪というもの。コミュニケーターはとてもうまく視察を先導し、資料館を案内し、福島第一事故現場に案内してくれた。内部視察には事前に送った個人情報の他に、免許書などの身分証明書がなければ入れない。原発内は厳重に検査され、テロ対策と称して、携帯も持参禁止、撮影はできない。
福島第一原発の現場の視察はこれで2度目。被災地の視察は何度見ても、何か感じるが、ここではそんな感情が生まれなかった。
「福島第一原子力発電所GUEDEBOOK2019」は、「・・・福島第一原発発電所を安定され、社会の皆さまに安全・安心を確保することが、私たちの重要な使命であるとしっかりと胸に刻み、福島復興への責任を果たしてまいります」と始まる。作業員については、「平均1日あたり4000人以上、うち約60%が福島県の方々。被ばく線量は平均2.67ミリシーベルト/年程度」と書かれている。構内の約96%が一般作業服で可能。
しかし、マスクをかけて防御服を着たまま車を運転する姿を見かけた。入口で多量の全面マスクを受け渡す様子も見かけた。
バスの中で話合う中、この違和感はなんだろかと少しみえてきた。これは浜岡原発のビアール館と同じなのだと。
(その13と同じ高橋が書いたもの。自己矛盾してい文章だが、その後、東電も変わってきたような気もする。 2022.12.27追加)
「現在、廃炉作業中の東京電力福島第一原発では、熱を発し続けている核燃料を冷やすため、崩壊した原子炉建屋内に毎日数百トンの水を注入しています。この水が、核燃料や原子炉構造物が固まったデブリに含まれる放射性物質に触れ、高濃度に汚染された水となります。」ポイント。世界中の原発から流されている処理水とは根本的に違う(高橋)