フクシマのこれまでの写真展の資料です。

 写真はご自由にお使いください。できれば、出典をお願いします。

 私高橋は2013年の取材をきっかけにフクシマに通うになりました。2013年5月18日付「神奈川新聞」に市民記者として「対話から気づき行動へ」と題して記事を書きました。そのつながりから、自宅から5-6分の武蔵小杉駅からバスで案内してくれた方がいたから継続していくことができました。そこから、バスの中で何ができるのか、という話になり、「今やっている市民活動の中で、私は写真展をやろう」。

 そこからだんだんface bookにもちょっぴり発表することに。その再現することにしました。

2023.11.25 ホームページの容量不足となり、写真展のpdfは削除させてもらいました。

 

2017.10.4 撮影(9.163マイクロシーベルト/時)の写真。

「絶対に窓を開けないでください」と福島県南相馬のボランティアガイドさんが携帯電話で知らせてくれた。去る10月4日、「被害地南相馬へ」のツアーで常磐富岡インターチェンジを降りて、南相馬に向かう。

 双葉町~大熊町~富岡町の約14キロを堀場製環境放射線モニターPA-1000(川崎の区役所借用)で測定。最高値は東京駅の110倍の毎時9.613マイクロシーベルトを計測した。安全基準と言われる年間1ミリシーベルト、毎時0.23マイクロシーベルトの約45倍。

 帰還困難地区となっている一方、側道に警備員や除染をしている人を見かけた。▲大丈夫?うやく通れるようになった国道6号線のバスの中。バスの中では警報音の連呼だった。(設定でならないようにできる)

 「絶対に窓は開けないでください」と南相馬ボランティアガイドの長谷川さんが伝えてくれたことを覚えています。一時は10マイクロシーベルト/時を超えました。
 安全放射線量 基準 は0.23μsv/h。
環境省_QA2-20 年間の追加被ばく線量1ミリシーベルト(mSv/年)と、空間線量率毎時0.23マイクロシーベルト(μSv/h)の関係について教えてください。 (env.go.jp)

 

 2014年10月4日、福島県南相馬・小高駅前の花壇に「お先に花を咲かせました」の札を見つける。自転車置き場は3年半たった今もそのまま。電車の復旧の予定はない。駅前の建物は修復中であったが、未だ人は住めない。

 「放射能の感覚は人によって違う。大丈夫だと思っても、いつも大丈夫なのだろうかと疑問に思って、気持ちは揺れ動く」と被災から今日まで南相馬に留まった保健師さん。「福島は人のとても住めるところではない」という人もいるければ、地元の人の話を伺うとそう簡単に断言できない。

 

「放射能という言葉がいやになった。あんまり気に過ぎてもいけないけれど、忘れてはならない」と中3の男の子。小学生で被災し一時県外の祖父母の家に避難したが、「ぼくは福島で卒業したい」と地元に戻り小学校を卒業、今は仮設の中学校に通う。「避難先では笑うことさえしなかった。放射能は移るとさえ言われたようだ」と母。▲難しい問題だ。