1. 飯舘村、農業復活の兆し、しかし、新たな巨大施設が地域を覆う その1
2. ―飯舘村、230万個のフレコンパックの山の次に現れるものは? ―
3. 飯舘村長泥地区環境再生事業、美名の下の実績づくりか?
4. 福島第一原発の見える請戸漁港の今、億の謝金を抱えながら
5. 13年目の除染土を入れたフレコンパック
6. 富岡町小良ヶ浜地区、特定復興再生拠点地区とは?
7. 東日本大震災・原子力災害伝承館の裏通り
8. 町の中に新たに増えるフレコンバックの山、その訳とは?
9. 中間貯蔵施設のその後、現在、分別作業停止中
10. 東京電力廃炉資料館の様変わり
*ご希望があれば、写真を無料提供します。この有料サイトはJimdoPro のサーバー容量 5000 MBで、すでに9割近く使用のため、写真を組み写真にしています。(高橋喜宣)
13年目のフクシマ その1
飯舘村、農業復活の兆し、しかし、新たな巨大施設が地域を覆う
「この鳥居は新しいがって?」
「前はもっと山の高えどごろにあったがね。6年以上(避難して)行ってねえど、山道が荒れでさ、ツタが生えで、ながなが行げなぐなっちまった。
それで、皆でお金出しあって、こごさ神社造ったのさ」
奉納 羽山神社 平成29年(2017年)10月吉日 氏子一同
「げんとも、集落は震災の前には14軒あった集落(長泥地区いいどい)が今は5軒しかねえのよ」
「米は作ってるがって? 去年がら作ってるよ」
「飯舘村はすべで避難区域解除されだがって? いやいや、あの山の裏側は未だ解除されでねえさ」
この村は、福島第一原発から、北西に直線距離で約40キロ。原発とはほとんど縁のなかった山間部の村は、事故から1ケ月後になって国から全員避難をするよう求められた。特にこの南部の長泥地区は、国との交渉によって、地区の中心部については、除染した上で2023年春までに、避難指示を解除するところまでこぎつけた。しかし、点在していた10世帯ほどは、どうしても、その対象に組み入れることができなかった。
村役場に行くと、かってあった放射線モニタリングポストがなくなっていた。役場の人に聞くと、「そうなのですが・・・」と歯切れがよくない。
「(村役場内にポスターある)ここのレストランは近くにあるのですか? 」
「そこを曲がって、あっちいって、すぐですね。1、2㌔先からなあ」
去る3月27日~28日にかけて、1泊2日のフクシマの旅をしてきた。出発は南相馬市原ノ町駅前のレンタカー屋さんから約200㌔を走らせ、山、川、海を見てきた。農家、漁民など現地の人の話もちょっと聞いてきた。
*会話は福島方言変換ソフトを利用させていただきました。
https://www.8toch.net/translate/
福島市、郡山市など中通り地方の方言に変換していますので、実際とは違っているかもしれません。
●読者の声
先週、お母さんたちで運営している放射能測定施設「たらちね」の講演会いわきまで行ってきました。
本当に詳しく、福島近郊、東京湾まで測定していました。
土中深くはまだ完全になくなっていない事実と、原発の処理がチェルノブイノよりも深刻であることを話していた。飯舘村の農業の復活を心から祈りたい!
13年目のフクシマ その2
―飯舘村、230万個のフレコンパックの山の次に現れるものは? ―
13年目のフクシマ その2
―飯舘村、230万個のフレコンパックの山の次に現れるものは? ―
福島第一原発事故から1ヶ月後になって国から全員避難をするよう求められた飯舘村。村の一部が避難解除されたのは2017年3月31日。その9日後4月9日に訪れた時には、村一面に、除染土を入れたフレコンパック230万個が覆われていた。20年でも、村中央を走る県道12号線沿いには、フレコンパックの山が残っていた。
24年3月27日訪問時にはフレコンパックは見かけず、村内仮置き場20ヶ所の全量は約40㌔離れた中間貯蔵施設(福島第一原発を囲む大熊町・浪江町に位置)へ輸送をされたようだったが・・・・。海岸線までくねくねした道に代わり、直線トンネルができて、運搬が加速したのかもしれない。
しかし、今、松塚地区には「F飯舘太陽光発電所」が覆っている。NTTファシリティーズの運営する発電所は、飯舘村が所有する土地を借りて17年10月に太陽光発電所を稼働させた。ここは17年3月まで居住制限避難区域だった土地だ。敷地面積は約31.2ha。ここに、約7万6600枚のパネルを並べた。「NTTファシリティーズの社長は、『農地を保全しクリーンエネルギーを拡大する意義ある事業。また、将来の営農再開までを見込んだ事業です』と事業の特色を紹介。菅野村長も『村内最大の発電所。基金に入れていただく収益は農業振興をはじめとする復興事業に活用させていただく」と絶賛した。
発電した電力は固定価格買取制度を利用し、全量を東北電力に売電している。売電単価は1kWh当たり32円(税別)。今回のメガソーラー事業には資源エネルギー庁の「再生可能エネルギー発電設備等導入促進復興支援補助金」を利用している。
発電事業の収益の一部を被災地の復興支援に充てるというが、この地区の先祖たちが眠る丘の上から施設を眺めながら、最低でも20年以上続くこの事業は、果たして本当に復興に役立っているのだろうか? 少なくとも、祖先は喜んではいない、そんな疑問が浮かんでくる。
村に広がったメガソーラー 存在感薄れつつある太陽光発電設備も [福島県]:朝日新聞デジタル (asahi.com)
F飯舘太陽光発電所の竣工式(10月24日) - 飯舘村ホームページ (vill.iitate.fukushima.jp)
取材・撮影 2024.3.27 高橋喜宣
●読者の声
NTTが太陽光発電、でもあまりにも広すぎて景観破壊、環境破壊、 FITではない固定買い取り、32円は異常です‼大企業同士の馴れ合いで、人間政党と同じです。ソーラーシェアリングで農業生産を同時にするならまだしも、村長も考え方を尊重できません‼
→(高橋)なぜ32円の異常値になったか?
これは、日本の悪しきFIT制度のためです。
発電事業者が認定を受けるにあたって、運転の開始期限が定められていなかったことである。
このため、事業実施の見込みによらず買取価格だけを確定しておき、事業をすぐに開始しない案件(未稼働案件)が膨大に発生した。その結果、例えば、太陽光発電の建設のためのコストが年々下がっても、そうした未稼働案件は高い買取価格が維持されてしまうということが起った。
さすがに、後で改められましたが、この制度のために、森や林を切って開発しても、儲けがでるという日本独自の環境破壊型再エネ発電所となりました。
https://fukushima-wasurenai.jimdofree.com/8-%E8%AB%96%E6.../
に書きました。
・収益の一部とある。私はここの人たちが事業主体であるべきと思っていた。一部じゃなくて全部置いてけとすら思ってる。100年経って放射能が減衰して元住民の子孫たちが帰れるまで!
・NTTはFITのメガソーラーが大好きです。収益性が見込みにくい非FITは及び腰です。
・大企業は、利益が出なければ、すぐに撤退しますね‼
・FITも電力自由化も、制度設計が稚拙なのは確かです。
水素社会もそうですし、防災緑地をメガソーラーにしてしまう奈良のように、野党系の政策は??
ブレーン不足なのでしようね。
・収益の一部とある。私はここの人たちが事業主体であるべきと思っていた。一部じゃなくて全部置いてけとすら思ってる。100年経って放射能が減衰して元住民の子孫たちが帰れるまで!
・放射能でパネルの寿命が短くなるてことはないでしようね
(高橋)日本の悪しきFIT制度で、もっとぼろ儲けの企業がありました。
13年目のフクシマ その3
―飯舘村長泥地区環境再生事業、美名の下の実績づくりか? ―
3月27日、「環境省では、福島県飯舘村長泥地区で除去土壌の再生利用に関する実証事業に取り組んでいる」現場を訪ねた。飯館村は全村避難命令から6年後に、帰還困難区域の避難指示が解除されたが、唯一避難解除されなかった例外地区はこの長泥地区だった。
2021年3月29日に、この地区で、 再生資材の製造・盛土を開始。その2年後23年5月1日、特定復興再生拠点区域と長泥曲田公園での避難指示を解除した。
見学会のチラシには「飯舘村の長泥地区では発生した土壌のうち、放射濃度の低いものを再生資材にして盛土に活用し、農地を造成する事業が進められている」と書かれている。
午後現地に行くと、誰ひとりいなかった。ダンプ1台の存在が目についた。
除染土壌は、福島県各地から中間貯蔵施設(福島第一原発を取り囲む)に集められたが、法律では、使用開始後30年以内(2045年3月まで)に福島県外で最終処分を完了させることが定められている。そのため、人の住んでいない所で再生活用資材としたかったというのが、本音だろうと推測する。新宿御苑や所沢への移転計画は反対されるが、住民のいない地区では反対運動がおきようもない。これが「環境再生事業」という美名の下の実績づくりの実態であろう。
24年4月1日現在、村の居住者は1513人、807世帯、避難者は3092人、1298世帯。
飯舘村長泥地区における再生利用実証事業|除去土壌の再生利用について|中間貯蔵施設情報サイト:環境省 (env.go.jp)
令和6年4月1日現在の村民の避難状況について - 飯舘村ホームページ (vill.iitate.fukushima.jp)
「除染土」を新宿御苑や所沢で「再利用」する話はどうなった? 発表から1年、環境省の答えは:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
13年目のフクシマ その4
【福島第一原発の見える請戸漁港の今、億の謝金を抱えながら】
「ほう、川崎から来だって、今日の漁獲だって」
「いや、シケで海さ出られねがったから、さっぱりだ」
「げんとも、(いづもの通り午前9時から水産物の)競りはやるみだいだよ」
「いろいろ制限があって船出せねえごどもあるのさ。この一隻でも1憶数千万円するのよ。7年で借金返さねえどね」
「ALPS処理水がって? 」
「マスコミの人でねえよね。おらだぢ、最初はうんと心配したけれどね。皆、ここの魚食べっぺど、応援してぐれでね。(東京の)豊洲では、毎日でも魚送ってぐれっていうのさ。影響はあまりねえようだ」
「中国には売ってだでがって? 売ったごどはねえ」
2011年3月11日に発生した東日本大震災で起きた、地震、津波により大きな被害を受けた福島県浪江町。震災発生直後から浪江町消防団は救助活動についた。海辺に近い請戸地区は、被害がひどかった。瓦礫の下に取り残された多くの命を確認しながら、その後発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故により、浪江町から避難せざるをえなくなった。
助けられなかった命に今もお詫びを続けている浪江町消防団の震災発生から今日までの様子を証言に基づき、アニメ映画「浪江町消防団物語『無念』が作られた。
震災後も、福島第1原発に最も近い漁港のため、復旧作業に時間を要した。20年4月に震災から9年ぶりに再会した。しかし、人は住めない地域となっている。
2024.3.28 取材・撮影 高橋喜宣
参考資料
〇9年ぶりに、請戸漁港で「競り」が再開 - 浪江町ホームページ (town.namie.fukushima.jp)
〇「福島の漁業」復活か、後戻りか 原発事故から9年半:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
〇消防団の無念アニメに
http://www.asahi.com/area/fukushima/articles/MTW20160308071450001.html
追記:「原子力災害資料館」には、一時この「「浪江町消防団物語『無念』」の映画シーンパネルが展示していた。なぜ撤去されたのか、昨年、問ったが回答されなかった。今年は朝早く行って、調べてもらい、午後に再度行くと「企画展示だったので、撤去しました」との返答だった。輝かしいエネルギーの変遷を掲げても、悲しい歴史にはあまり重きを置いてないのだろうか?
読者の声
・彼らは巨額の賠償金の支払いに直面しているが、地元の漁業を支援し続けており、放射線照射を受けた水についてはより楽観的な見方を示している。❤️
→高橋
コメトをいただきありがとうございます。
「地元の漁業を支援し続けて」いるとは、私には思えないのです。確かに支援していますが。国は請戸地区の土地を買ってくれましたが、相場の1/3でしかありません。
ここの作業場は無償で行政が提供してくれたが、2ヶ所借りているので、敷金は20万円×2倍さ。電気代や水道代は自分持ち。でも、ここの網や装置などで1億円以上使ったんだ。それまでずっと貯めていたお金を使ったんだ。補助金は2/3がでたが、1/3は自己負担だ。だから、工面できない人は続けられない。「(多くの)船はしゃっきん、しゃっきんといって動いている」と言われているんだ。
とフクシマ2023年に書きました。
13年目のフクシマ その4
【13年目の除染土を入れたフレコンパック】
「今、あのフレコンパックの山はどうなっているのでしょうかね? 」
「処理されて片付られたようですよ」
「もっとも国の帰還政策で、新しく帰還困難解除となる地区(特定復興再生拠点区域)では新たな除染土壌は生まれ、フレコンパックは発生しています」
ある脱原発のZOOM会合で、大学教授は上記のような趣旨の解説をしていた。しかし、3月に行って、この目で見た現状は今も古いフレコンパックがあった、と私は反論した。
福島第一原発の作業クレーンが見える、国土6号線沿い(避難指示区域)には13年目の今もフレコンパックが見える=下2枚の写真。昨年2023年5月、視察の時に中間貯蔵施設の担当者が「2022年3月に福島県内の46市町村からの除去土壌の搬入は終わっています」と話をしていた。反論すると「帰宅困難地区は除いてです」。今年はこの国道沿いのフレコンパックの山はなくなっているだろうと思ったが、ご覧のとおり、まだ残っている。
かつて、帰宅困難地域の国道6線沿いで撮影していたら、「ここは危ないです。直ちに退去して下さい」と言われたことがある。今はもう警備員は一人もいない。撮影していた時に、パトロールしている車が来ていたが、一言もなかった。
(国道6号線の双葉郡富岡町夜ノ森から浪江町高瀬までの区間は、2011年4月から2014年9月まで、線量が高く、ホットスポットが点在して、通行止めになっていた。道路が通行できるようになった今も、帰還困難区域がある)
更に、始めて走る裏通りには、搬入が終わったはずのフレコンバックが残っていた=上写真。
大学教授は「国の帰還政策」と言っていたが、はたしてそれだけだろうか? 反論しなかったが、少なくとも原発周辺自治体の広報誌では国に帰宅困難地区解除の要望を出したという趣旨の記事が見られた。
このことを3月のアースデイ東京のとき、富岡町に移転した家族の方に話を聴いた。彼女とはEシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)の会合でよくご一緒させていただいた。現在、夫と小さなお子さん二人で福島県富岡町に住んでいるという。夫も脱原発の活動家だ。「(国の帰還政策だけではない)そうだと思いますよ。住んでみないと分からなかったこともあります」
13年目のフクシマ その6
【富岡町小良ヶ浜地区、特定復興再生拠点地区とは? 】
「こごさ漁港があったのは、震災の前のじっと前でしたよ」と警備員の女性が少し地元なまりある言葉で教えてくれた=右上写真。
ここは富岡町小良ヶ浜(おらがはま)地区・深谷地区。昨年11月に避難指示が解除された。かつて、小良ヶ浜には、南北二つの原発に挟まれた小さな漁港跡があったという。「港が存在していたとは思えない切り立った崖。そこには『このような場所に港を作らざるを得なかった漁民』の悲しみがあるように思う」(小松理虔著『新復興論』p73)
2017年5月の福島復興再生特別措置法の改正により、特定復興再生拠点区域が制度として創設された。23年3月に浪江町、同年4月に富岡町(夜の森・大菅地区)(「2023年フクシマ」その2でレポート)、同年5月に飯舘村(「13年目のフクシマその1」でレポート)。そして、同年11月に富岡町(小良ヶ浜・深谷地区内)と避難指示が解除されたその現場である。必ずしも国の帰還政策だけで推し進められているのではなかろう。
しかし、大規模な土木工事や除染作業が行われているが、個人住宅の建設はわずかにあったが、ほとんど見られなかった。ゲートの横から海が見えた。かつての漁港を見下ろす灯台のある高台があり、断崖絶壁があるようだが、今はいけない。
お墓は、フレコンパックの山が見える丘に、新しく建てられている。
〇参考資料
必ず小良ケ浜に帰る 区域内での分断進んだ 白地地区【復興を問う 帰還困難の地】(21) | 福島民報 (minpo.jp)
小良ヶ浜
http://banzanbou.com/banzanbou_new/wp-content/uploads/2022/05/oragahama-mini.pdf
読者の声
・地域コミュニティの再生や、漁業などの産業の再興など、具体的にどのような取り組みが期待されているのでしょうか。
→(高橋)コメントをいただきありがとうございました。作業員しかいなかったので、聴くこともできず、分かっていません。
漁港は大正時代に作られたようです。すぐ上のURLに写真満載で紹介されています。本も出版されているようです。
左写真は通行止め付近の道路から望遠レンズで撮影した風景です。
・地道なご努力に感銘を受けます。ご活躍を祈ります。
13年目のフクシマ その7
【東日本大震災・原子力災害伝承館の裏通り】
「ここ(双葉町青年婦人会館)に去年まであったパンクした車はどこに行ったかですって? 」
「あそこの建物の裏にまだありますよ。でも、入れませんよ」
と車でパトロール中の女性警備員に伺った。この付近を通る人は他に誰一人いなく、住む人もいないようだった。
「(中間貯場施設との)堺にある放射線モニタリング装置の線量(0.115μSV/h)とこの会館の線量(1.097μSV/h)の違いですって? 除染の違いでしょうね」
毎年、東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れている。その度に大型バスで多くの人が訪れているのを見かける。国道6号線から新しい道を入って、伝承館を行くと、真新しい家も次々と建てられ工場も建設されている。一方、福島県は「ホープツーリズム」と名付け、「世界で唯一、複合災害を経験した、福島でしか得られない、新しい学びのスタイル」として「多彩な発見と出会いのフィールド『ふくしま』」ツアーを呼び掛けている。そのツアーの総合ガイドブック(A4・31頁)には広島県、兵庫県、大阪府などからも中学生・高校生が訪れたと紹介されている。しかし、はたしてこの伝承館の裏通りの光景は見ているのだろうか?
・参加者の声 教育旅行:生徒 関西エリア私立高校
「現地に来ることで、見えることや感覚が変わる。風症被害払拭には、訪れて感じ、考えることが大切だと思う。まずは訪れること、それが一番大事」
・モデルコース スタンダードコース 1日
国道6号線通過→東日本災害・原子力災害伝承館→双葉町産業交流館→富岡町文化交流センター「学びの森」
見学:「帰宅困難区域が解除になった地域でも、震災・原子力災害以後、手つかずの建物が残る光景が見られる一方、一部では除染や建物の解体が進み、新しいまちづくりに向かう息吹を感じとることができます」(『福島県ホープツーリズム総合ガイドブックp3&p26-27』」)
裏通りにある元双葉町役場の時計は13年前当時の時間のままだった。
*なお、写真の「ヘルスケアーふたば」の駐車場への立入禁止の標識は見当たらなかった。
【町の中に新たに増えるフレコンバックの山、その訳とは?】
昨年2023年5月、視察の時に中間貯蔵施設の担当者が「2022年3月に福島県内の46市町村からの除去土壌の搬入は終わっています」と話をしていたが、今は新たなるフレコンパックの山が町のあちらこちらにみられるようになっている。
かつてこのフレコンパックは福島県各地から中間貯蔵施設に集められ、分別施設に運ばれて、福島原発を囲む渋谷区と同じ位の広さの中で処理されていた。その運搬作業には一日7000台のトラックが行き来していたこともあった。しかし、今や中間貯蔵施設はベルトコンベアーも分別施設も解体された。「施設が古くなって、解体しています。すぐに新たな施設を作るより、2~3年仮置き場においてまとめて処理した方が良いだろということになりました」と今年2024年8月24日に中間貯蔵施設で説明を受けた。
読者の中には、あるいは福島県を視察にいった方々には、除染処理は進んで、フレコンパックはほとんど見られなくなったと思うかもしれない。筆者もその一人で、わずかに国道6号線沿いの帰宅困難地区に残されているだけと思っていた。しかし、通い続けているうちに、今までなくなったはずの仮置き場に再び新しいフレコンパックが置かれていることに気づいた。
また、福島県の原発周辺の一部しか見ていない人には変だと思うかもしれない。しかし、今なお多くの地域が帰宅困難地区にされて、除染の対象とされてこなかった。しかし、国の帰還政策だけではなく、地方の要請もあり、新たに特定復興再生拠点地区ができて、新たな除染作業が始まっている。そのためにフレコンパックが増大しているのだ。
しかし、それなら人の住む町中ではなく、空いている中間貯蔵施設の仮置き場に置けばいいのではなかろうか?
参考資料
13年目のフクシマ その9
【中間貯蔵施設のその後、現在、分別作業停止中】
「最終処理の話も含め、誰もが意見をもって、活発に議論できる世の中でありたいと思いました」とは、中間貯蔵工事情報センター内にある掲示板のお茶ノ水大学生のメッセージだ。
福島県内の除染作業により発生した除去土壌等は、2045年3月までに福島県外で最終処理することが法律で定められている。ここ福島第一原発を囲む、中間貯蔵施設には東京ドーム約11杯分(約1400㎥)が集められ、土壌と可燃物に分けられ、仮焼却施設で燃やされ、土壌は渋谷区に相当する広さにある土壌貯蔵施設に管理・保管されてきた。トップ写真はその一つの大熊工区。高台の福祉施設「サンライトおおくま」から福島第一原発を遠くにみた施設だ。真ん中にある遮水ブルーシートの部分は、今後も土壌を入れるようにできている。
かつては1日数千台のトラックが走っていたここの避難困難区域には、今、トラックはほとんど見当たらない。なぜなら、現在、運搬作業は停止しているからだ。土壌の受入・分別施設が古くなり、解体することになった。2022年には見られたベルトコンベアーも今では見られない。「14年のフクシマ その8」で紹介したとおり、この中間貯蔵施設にそのまま置かれ、新たに生まれたフレコンパックは町中に置かれたままにする方針となった。
22年12月、環境省は、東京都新宿区、埼玉県所沢市、茨城県つくば市の3カ所にこの土壌を運搬することを検討していると発表し、新宿と所沢で説明会を開催。ただ周辺住民や地元町会が猛反発した後は目立った話は聞こえてこなかった[i]。
現在、この中間貯蔵施設内には、「除去土壌の再生利用に向けた道路盛土実証事業」が行われている。一般的な地方の幹線道路(交通量1日4千~2万台/日)を想定して、追加被爆線量を減らすために、上面には覆土の暑さを1.6m、側面の覆土の厚い50㎝以上確保している。
この改良土が全国に広げるか、法律を変えるか、一部の政治家や官僚で決めるのではなく、広く議論する必要があろう。
撮影・取材:2024.8.24
[i] 「除染土」を新宿御苑や所沢で「再利用」する話はどうなった? 発表から1年、環境省の答えは:東京新聞デジタル
このシリーズはまとめて下記のホームページにてご覧いただけます。
https://fukushima-wasurenai.jimdofree.com/6-13年目のフクシマ/
読者の声
・ワクチンでもわかるように、ストレスや悪用が、不特定多数の通るところでは、懸念されますよね。
危険性や取り扱いをきちんと理解できる人が集う、研究所や大学におくべきとおもうのです。
近づくだけで即死する使用済み核燃料やガラス固化体も、同様です。
体育館のプールのような現状で大丈夫なら、東大や筑波大においた方が安全なきがします。
→(高橋)「危険性や取り扱いをきちんと理解できる人が集う、研究所や大学」はいいと思いますが、果たしてどの研究所や大学がきちんと知っているか、素人ながら疑問もあります。
13年目のフクシマ その10
【東京電力廃炉資料館の様変わり】
「原子力事故の真実と廃炉事業の現状等をご確認していただける場として、『東京電力廃炉資料館』を当社施設である「旧エネルギー館」に設置しました」と同資料館のパンフレットには記載しているが、最近はALPSE処理水を解説するコーナーの設置など少し様変わりした。「原発事故の記憶と記録を残し、二度とこのような事故を起こさないための反省と教訓を社内外に伝承することは、当社が果たす責任のひとつです」と訴えるが。
同館のゾーン3「廃炉の現場の姿」にある汚染水・処理水対策コーナーが様変わりしているようだ。「汚染水対策と汚染水を処理することで発生する処理水への対策を紹介します」とされているが、海洋放出の手順を詳しく解説している。ここは案内ガイド付きのツアーの目玉になっているようだ。
もう一つ変わったのが、情報スペースの福島県の空間線量の世界都市との比較図だ。「福島県内の空間線量は海外の都市とほぼ同じ」という解説は同じだが、「出展:環境省」はなくなり、年月に変更されていた。
変わらないのは、同館の裏にずらりとならんだ「東京電力ホールディング 福島第一原子力発電所 視察者専用バス」と見学者の多さだ。原発の見学者はここで東電の説明をじっくり聞いて、原発敷地に入っていく。
著者も2度原発敷地内に入って見学したが、5-6年前だったか、「意外と廃炉作業が進んでいる」という感想を述べた方がいた。
読者の声
・汚染水メガネが安全だとほざいて福島原発処理水の海洋放出を決めたのだから汚染水メガネの地元の広島1区に流せば万事解決だ。
それなら被災地に風評被害が起きることはないし、安全ならわざわざ海水で薄めて数十年間流し続けるより30万トンのタンカー4往復で原液を一気に流した方がはるかに安上がりだ。
実際、経産省の試算では海洋放出費用は34億円だが、現実は数%しか放出していないのに風評被害額だけで240億円もかかっている。しかも530件の申請に対して150件しか支払われていない。
その上放射能汚染の実害が生じたときの損害額はその比ではない。
何より海洋放出を支持した友好国のメンツを潰すことになり、中国がそれを利用しないはずがない。
見積額を千倍以上間違える無能など民間企業では即クビだが、汚染水メガネをはじめ誰も責任を取っていない
広島1区の住民も汚染水メガネの海洋放出を止められたのに止めなかったのは処理水が安全だと確信していたに違いないから広島1区への海洋放出も快く受け入れてくれるはずだ。
万が一放射能汚染が起こったとしてもそれこそ汚染水メガネの海洋放出を止めなかった広島1区の自己責任だから問題ない。
( 汚染水メガネとは、岸田元首相のことのようだ)
→ (高橋)ありがとうございます。
私はむしろ、このイラストのように安全ならALPSE処理水を飲んで見せるパーフォーマンスをして欲しいですね。
菅直人さんら日韓中首脳が福島の野菜を食べたように。
・・原発はまだ「発災中」のはずですが、どこかに表示はありませんか?
→(高橋)ありがとうございます。残念ながら、ないようです。こんど行くとき、聞いてみます。